思考と表現の日々

日々思ったこと感じたこと 手書きだったり写真だったり

安倍首相はモンスターだったのか

 このタイトルを読んで、誤解を招きそうな気もする。

 しかし、安倍首相を快く思わない人たち(以下「反安倍の人」と呼ぶ)から見れば、彼は悪の大魔王かモンスターなのかもしれない。どうもここ数日でそのような疑念が私の中で深まりつつある。

 

 佐川氏が証人喚問で言ったこと

 1.自分自身が文書書き換えの指示をしたかどうかは、刑事訴追される可能性があるので言えない。

 2.安倍首相をはじめ政治家や首相夫人の関与は一切なかった。

 

 この 1,2がまったく別の事柄であることを反安倍の人は受け入れることが出来ないみたいなのですよ。

安倍首相はじめ政治家の関与があったかどうかは、自分が刑事訴追をされるかもしれないので言えない 

 と認識しているようなのです。

 

 え?

 安倍首相をかばって自ら偽証罪に問われようとしている???

 安倍首相が関与していないと言わないと、首相が警察に指示をして佐川氏を逮捕するように仕向けると思っている???

 

 偽証罪で捕まって刑期を終えた後に安倍首相から何らかの利益を与えられるに違いないと思ってる??? 

→そんな、捕まった人に利益供与するほどあからさまなことはしないでしょう。

 

 もしくは、首相が警察に支持をして自分の意に沿わない人を逮捕するって、そんなんバレたら辞職どころの騒ぎじゃないでしょ。それこそ民主主義は死んだって話になる。

 

 佐川氏が首相をかばっても何の利益もないのです。

 

 そんな想像がなされるぐらい、反安倍の人にとっては憎むべき存在のようです。

 

 嫌いな人による政治が行われるのが嫌

 たぶん、この程度のことなんだろうと思います。あまりにも嫌いだから、普段は知的で冷静なはずの人が、あれこれ理屈をつけて安倍首相を批判する。もしかしたら、「自分は頭が良くて冷静と言われている。そういうイメージの自分にいい感情を持っている。そんな自分が感情的になるはずなんてない。もしくは、そんな自分を冷静でいられなくする安倍首相はモンスターに違いない」と思っているのかもしれない。

 全共闘世代の人だと、「巨大なる悪に立ち向かう勇敢な自分」という構図でしかものを考えられないのかもしれない。若い世代だと、学校や職場で出会った「知的とされる人」に心酔をした結果、自分が尊敬をする人が批判する人を盲目的に批判しているのかもしれない。

 そういった人たちの、自分は感情的にならない人間だという思い込みからくる、理論武装しきれない安倍首相批判の文を見て、「あーこの人たち、知識>>>感情と思ってるんだ。感情的になることをばかにしているんだ」とか、「もしかして、負の感情を放出させるの苦手?」と私は思ってしまう。

 

 追記

 反安倍の人は、本当に「負の感情を持つこと」「負の感情を放出させること」が苦手でなのでしょう。「清濁併せ呑む」という感覚がないんじゃないかと思う。知的なものに囲まれ、自由を勝ち取る。そういう人生だった。

 しかし、実際の世の中はそうではない。

 

 知的なものに一切関心を持たず、先の見通しを立てるのも苦手な人たちがたくさんいる。その場の感情をすっきりさせることで精一杯の暮らしをしている人がたくさんいる。

 子供の頃は、周囲の大人によって「汚いもの」を排除される。そして、他者理解のための別の価値観として清濁併せ呑む感覚を教える。清濁併せ呑むという感覚はある程度成長してからでないと理解できない。そのため、最初はわかりやすい「きれいなもの」を教える。その過程で、親が清濁併せ呑む感覚を教えるのが面倒で清い方だけを教えたという可能性もある。結果として潔癖な性格になるのではないかと推測する。

 

 ということは

 知的とされる人たちの内面をこれだけ揺るがしてしまう安倍首相ってほんまにモンスターなのかもしれない。