思考と表現の日々

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セクハラにはまっとうな手続きで

 

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 個人的な意見としては

最初に報道しなくても、

 抗議→双方が改善案を出す→裁判(いきなり裁判でもいい)

で良かったのではないでしょうか。

 こうすれば、二次被害は防げますし、あったとしても一般の人の目が厳しいでしょう。(省庁やテレビ局に反感を持っていない人からみれば、「裁判しているんだから、関係のない人が立ち入る問題ではない」という判断になる人が多いでしょうし)

 即刻対処すれば。社員を守る会社という印象を与えることもできました。この記者の記者としての人生は大きく変わるでしょうが、メディアの中では生きていけたでしょう。

 これを機に、取引先であっても裁判をしてもいい。匿名でも裁判できるような制度が周知され、泣き寝入りする必要がない問題であることであることが世間に広まれば、今回のような二重のパワハラ(自社からも取材先からも)とセクハラ被害が大きくならなかったのではないでしょうか。

 

 私は、まっとうな手続きを踏める環境を広めることを「MeeToo運動」で広げるべきで、被害をただメディアによる報道で伝えて終わっている現状のMeeToo運動は誰も救っていないと考えています。

 

 

 一部の女性の「女性は弱いから怖くて誰にも言えなくてメディアに録音を出さざるを得なかった」というのも違うなと考えます。録音するまでは支障はないのですが、代理人を立てて裁判するべきでした。

 

 この女性の悲劇は、報道の力を信じすぎていたこと。報道で世の中を変えてやろうと思ったことではないでしょうか。

 その思いが強すぎて、報道する側の権力が強くなりすぎて、反感を持たれていることに気づかなかった。社会問題の重さを判断するのが「メディアの御眼鏡に適うかどうか」になってしまっていた。最初に、抗議してほしいではなく、報道をしてほしいと判断したことが、支持を得られにくい方向に向かってしまった。

 一部報道では「セクハラの見返りに記事をもらう」ような言動をこの記者がしていたとあります。そういうことをして仕事を得るべきではなかった。正々堂々と取材してほしかった。

 いくら報道の力が強いとはいえ、判断するのは多くの国民です。まっとうな手続きを踏んでいれば多くの支持を得られていたと思うのに、メディアに巣食う思考(報道の力で世の中を変えてやろうと思った)のおかげで大きな悲劇になったと思うと残念に思います。

 

補足)ソースがすべて産経なのは、記事が消えないからです(他の会社は1ヶ月ぐらいで消えてしまうので)