思考と表現の日々

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不寛容な人

 不寛容な人が増えていると言われる。

 

 確かにそうかもしれない。

自分自身、何か事をしようとすると「それが正しいかどうか」で考えてしまう癖がある。たとえ、その日に着る服の選択であっても。同じ服を連続して着ないうようにしたり、似たような色の服を連続して着ない、気候に合わせた格好をするなど。実際、着たい物を着ればいいのだと思うし、毎日他人の服を細かくチェックする人は少ない。最近では、振り切って自分の着たい物を着るようにしている。

 

 不寛容な人にとっては、今までの世界が自分にとってルーズすぎて気持ち悪かったのかもしれない。意識するしないに関わらず、自分に合わせて欲しい。自分の苦しい気持ちをわかってほしい。他の人からみたら窮屈な世界でも、自分にとってはきっちりしていて美しい。今まで自分が感じていた苦しさを他人に味わって欲しい(とまでは思ってないかもしれないが)

 

 それと、さまざまな言説を用いて、周囲のルーズさを責めている人の中には、

他の人が知らないことを自分が知っていること に高揚感を感じて他者を責めることでさらなる高揚感を得ている人がいるように思う。

 他者の揚げ足を取り、批判することで自分が高尚な人物になったように思い込み、揚げ足取りが快楽になってしまっている人もいるのではないかと思う。そうなってしまったら、もはや揚げ足取りを止めないだろうから、距離を置くしかないんだよなあ。皆に嫌われて、周囲から誰もいなくなっても止めないだろう。人から知識がある、と賞賛されていた人はもしかしたら気づくかもしれないが、逆ギレされる場合も。

 

 実は、「○○が許せない」と言っている人は一人一つずつの「許せない対象」があって、何人もほうぼうで発言するから「どれもこれも許されない」環境になったのかもしれない。

 

 そんな世の中で、落とし所はどこなんだろう。

 

 

 自分が100%好みの空間を作って、そこだけでは自分の好き勝手にできるという環境にして、お互い入り込まないようにするのが落としどころかなあ。