思考と表現の日々

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「察してほしい」という文化は滅びてほしい

 ただし、家族が死ぬなど精神的に非常にダメージを負っている人に対して、周りが配慮した行為をするのは当てはまりません。自分がしてもらいたいことを説明できる余裕がないためです。それ以外にもするべきことが沢山ある状況ですからね。

 

 というわけで、そういう状況でもないのに、自分がしてほしいことをはっきりと言わずに周りに自分の思い通りに動いてほしいと考える「察して」という文化は滅ぶべきだと考えています。

 

 なぜ察してちゃんは自分の意見を言わないのか?

1.自分の考えを言語化するのが苦手だから

 自分の中でモヤモヤっとした思いが溜まりやすい性格→頭のなかでモヤモヤで一杯になる→自分の考えや感情がまとまらない→伝えにくい

という思考と、

 言語にすると正確に伝わらない

という人がいると思います。

 感情がモヤモヤわきすぎて、それを言葉にすると莫大な量になってしまうのですね。「人に嫌われたくない」「自分の思いどおりに人が動いてほしい」という天秤が激しく頭のなかで動いていそうなイメージです。うまい伝え方で、動いてくれると思うのですが。事柄によっては自分がやったほうがマシな場合も。

 

2.責任を取りたくない、損したくない、嫌われたくない気持ちが強すぎる

 自分をやたらと守りたがる傾向が強そうです。自分で動くのも嫌なようです。褒められたいという気持ちよりも、非難されたくない気持ちが強い。目立つことも苦手なようです。(嫉妬が強いので、他人が嫉妬するタイミングには敏感)

 そこで、他人が自発的に自分の思い通りに動いたことにすれば、自分は一切責任をとらず傷つかずに自分の願いが叶うのです。

 リスクを一切取れないので、大きく成功することはありませんし、「やらなかった失敗」は後からじわじわとやってくるものなので失敗したことに気づかない、もしくは手遅れのことも多いのです。

 

 周りの人はどうすればいいのか?

「察して」とジトーっと送る目線を一切無視すればいいのです。

 

 あとは持久戦です。察してちゃんは面倒くさがりの上にリターンを失ってでもリスクを取らないので、どこまでもやらないでおきましょう。友人であれば、「やってくれない人」と認識されれば距離を置かれます。問題は家族です。察してちゃんが自分の子供の場合は「言わないと伝わらない」ことを延々言葉と体で覚えさせましょう。

 配偶者だと・・・お気の毒です。

 

自分の希望をハッキリ言ったほうが早く確実に願望が叶うと思うのですが、

やはり、「リターンを失ってでもリスクを取らないことを選ぶ」人には耐えられないんでしょうねえ。