思考と表現の日々

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投票には相当な量の知識が必要だ

  投票行動の結果に対する責任は、その地域の住民、国民がかぶることになる。しかし、そのことがもとで賠償を求められることはない。

 

 より民主的な社会を作るための投票行動に至るまでに必要な知識は驚くほど多い。

歴史、地理、経済、現状についての把握、多くの住民にとって利益になることは何であるか考えたり、なるべく自分が損しないように考えたり(自分だけが大きく得するとことに着地点を置くのとは違います)

 それを考える能力がないと判断できれば、投票しないという行動について罪に問われることがないのは救いだと思います。勉強や準備をしていなかったのはたしかに問題なんだけど、期限までに知識が身につかなかったことに対して罪に問われる場合、間違った知識での投票行動につながり世の中が悪い方向に向かうリスクが有ります。それを問われず「勉強するんだよ」とただ我が身に対する反省を求められるだけならば次の投票行動に対するハードルも高くならずに済みます。

 勿論、多くの人がそれぞれ自分の頭で考えて「なるべく極端に不幸せになる人が現れず、なるべく多くの人がそこそこ幸せになる方法を考えて」投票したほうが世の中は良い方向に向かう(極端な考え方が中和される)のでしっかり勉強して投票に行くほうがいいです。