思考と表現の日々

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自動運転の乗用車

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 自動運転になっても、

1.歩行者や自転車まで自動運転になるわけではない

2.人はミスをするが、機械もまたエラーを起こす

3.機械を操作するのは人間だ

というわけで、それを補完するシステムが必要です。

 

 我が家の近所における交通マナーの崩壊ぶりについては過去のこのブログでも書きましたが、それはもう世紀末英雄伝説です。これに対応しようと思ったら車の通る道と自転車の通る道をわけないといかんのではないかと思うぐらいです。

 

 機械のエラーは人間の想定外のこともありえます。かつて実際にあったエラーの解決法が「プリンターにデータが上手く転送されなくて印刷が進まない」場合の対処法として「電源を切ってケーブルを抜いてしばらく放置する」というサポートの方からの回答でした。

 

 自動運転の乗用車はコンピューターが制御しています。ということは、何者かがハッキングしてあらぬ方向に車を動かす危険性もあります。機械を動かす人間の悪意までは制御できませんので、それに対する対策が必要です。

 

 となると、人間がミスをした場合に被害を最小限にするためのシステムと同時に機械が壊れた場合に対処するシステムが必要です。そのためには、いざとなったらミスを補正して被害を出さないもしくは最小限にするために人間が運転できるようにすることが必要です。

 

 日本の昔からの体質として「予備能力を軽視する(それを手抜きと判断する)、兵站を軽視する。常に最大限の力を出す」ところがあります。自動運転になったらタクシーやバスのドライバーは不要と考えだすかもしれません。もしくはあまり経験のない人に安い給料でやらせるようになるかもしれません。それは違います。乗客を安全に運ぶために必要です。乗客の危険は様々です。事故によるものだけではありません。移動中の体調不良もあります。また、自動運転中の機械(道路、自動車)のエラーもあります。それに最も確実に臨機応変に対処できるのはその場にいる人間です。それは当分揺らぐことはないでしょう。(その場にいるということが非常に大きい)

 ゆえに、安全のためにも今までの免許制度は必要です。そして、乗用車の生体認証まで進むと「免許取り消し中の人の運転」が避けられます。(認知症の方の場合だと暗証番号で対応できるが、飲酒運転で事故を起こすなどやらかした人には無意味です)