思考と表現の日々

日々思ったこと感じたこと 手書きだったり写真だったり

「みんななかよく」


f:id:miyaq:20150708084431j:image

 集団生活をし始める時期の幼児によく使われるこの言葉、聞いていて首を傾げます。

「みんなと仲良くなんて出来るわけねえじゃん」

 親自身がみんなと仲良くできてないのに、よくそんなお花畑理論・・・いえ理想を子供に押し付けるよな、と思うのです。もめないのがいいことで揉めないためには自分どこまでも譲れ、と親が本気で思っているのなら性根を叩き直したい気分です。(やさぐれ)

 

 実際は、

・自分の欲求ばかりを通すな、譲れるところは譲れ

・他の子を無闇に傷つけるな、自分がされたら嫌なことはするな

という人間関係の超基本的なところだったりするのですが。

 自分には子がいないので、「誇りや尊厳を持つこと」について今の幼児の親はどのように教えてるのだろうか? 他人を尊重するためには自分を尊重する、それはどこの部分かという視点です。

 

 実際、大抵の親も子供に対して「クラスの子全員とフレンドリー」というところまでは求めていないような気がします。「無難な人間関係を(全員と仲良くするのは無理でも、好んで敵を作るようなことはするな)」という程度に感じます。たまに「クラスみんなでフレンドリー」とか「人間関係を一切教えていない」「弱肉強食」という家だったり本人がいる(親は普通に教えていても子供が人間関係で妥協を許さない場合も)から人間関係はややこしくなります。「クラス全員フレンドリー」と本気で信じているのが教員だった日には目も当てられません。

 

 そもそも、学校のクラスって授業をする上で効率的にするために組織されたものであったり、社会における人間関係のやり過ごし方を学ぶための仮想組織ではないかと。

 学校のクラスは全員と仲良くは無理でも、積極的に敵ばかり作るようなことはしないとか、合わない人とでも必要なやりとりだけはするようにするとかそういうのを学ぶ場だと思います。そして、恐ろしく自我の強大化した人がクラスを支配するようなことがないようにするのも必須です。

 みんな仲良くよりも、合わない人もいるけど最低限の礼儀は守る、尊厳を傷つけない、尊厳を傷つけない限り(尊厳を傷つけられた場合は抗議する)自分を傷つけるほど合わない人とはなるべく距離を置くということを教えた方が子供の気持ちは楽になります。親が人によって距離を変えているのに子供である自分がみんな仲良くだとしんどくなります。

  今回はこのブログを書く手法としては初めて「文字部分を最初に書き、まとめたものを手書きにする」ということで頭の中に浮かんだモヤモヤしたものを吐き出しました。