「人と人がいい塩梅で暮らせるように調整するために作られた法律」の知識を用いて、依頼者が法的に妥当なところにいるのか調べ、必要な手続き(申立だったり裁判だったり)をするのが弁護士の仕事と思います。法律仰山ありすぎて専門知識ないと調べきれないじゃん。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
つまり、「権力と戦う」のではなく、個々の案件に対してほんまにいい塩梅で法律を運用できているのかツッコミを入れるのが仕事。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
動物や植物の生態でも、淡水に適応した生物、海水に適応した生物、深海に適応した生物など、とそれぞれにあった環境があり、それぞれの場所で暮らしています。お互いが知らないところで支え合っている場合もあります。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
人間も同じではないでしょうか。それぞれにあった環境があります。それを「自分(や自分と接している人)にとって暮らしやすいから」といってひとつにしてしまうのは乱暴ではないでしょうか。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
自分の家族、友人、仲間はある程度価値観が似ているから、世の中はその価値観しかないと誤解しがちです。実はそうではないことを頭の片隅に入れておくといいでしょう。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
ゆえに、ある程度幅のある自由や制限が多くの人がいい塩梅に暮らせる落とし所ではないでしょうか。例えば、「思想信条の自由」「二次元に対する表現規制はするべきではない(直接被害に遭う対象者がいないので)」
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
ただ、それでも無理な人はいるんだよなあ・・・自分の願望が萎えられないのは許されないという反応をする人。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月15日
ココ最近の違和感について。
いわゆるフェミニストや男女同権運動をしている人、受動喫煙防止対策をしている人、健康を推進している人、リベラル的な物言いをしている人に多い傾向があるなあと感じたことがありまして。
「たぶん、この人らめっちゃ真面目で潔癖な人なんやろな」
淡水の、汚染されていないような環境でしか暮らせない。世の中には、汚染された環境でしか暮らせない人もいるし、ほどほど暮らせる環境に幅のある人もいます。
得てして、人は似通った人と接して過ごしますし、「何を言ったか」より「誰が言ったか」に影響を受けやすいです。自分の好きな人が言っていることは正しいと盲目的になりやすいです。特に、知的なものに惹かれ、そうでないものを排除しがちです。
例えば、メディアに所属する人が反体制になりやすいのも、そういう人が集まっていて、自分の好きな人が体制に常に怒っているからそうなったというものが多いのではないでしょうか。自分に仕事や人生を教えてくれるいい人を怒らせるあの人は悪い人と。
いっぱい勉強をして、いっぱい物事を考えている人でも、多くの人が疑問に思う言動をする。それはその人の頭が悪いわけではないこともあります。その人の周囲も、同じような考えの人ばかりだと、その考えしか存在しないと誤解しがちです。
特に、勉強してきた優等生は、感情的になることを良くないと考えがちです。マイナスの感情を過剰に嫌悪しがちです。自分がマイナスの感情を持つことが受け入れがたく、その対象となるものを過剰に嫌悪するように見えます。マイナスの感情もプラスの感情も同じぐらいの価値です。人間の感情です。ただし、マイナスの感情の放出はうまくやらないと他者への攻撃になりやすいです。(プラスの感情も、劣等感を持つ者にとっては傷つけるものになりますが、それは劣等感とどう向き合うかの問題にしたほうが暮らしやすくなります。)
保険医療など、さまざまな環境・境遇の人と接することになる仕事でも「医療は利益をとってはいけない(ではどうやって食べていくのか。どうやって設備を整えるのか)」などと濃い右舷する人がいます。(国民へのウケ狙いで言っている人もいますが、心からそう思っている人もいます。前者のほうが悪質に思いますw)
一般的な企業で働く人は、似たような価値観の人と仕事をするので、自分と同じ考えの人しか存在しないと誤解しがちです。
これは自然の摂理なので、仕方ないと思ったほうが自然です。ならば、「動物も同じく似たようなものが集まりがちだが、違う考えの人も知らん間に支え合って生きている。色んな人がおって、生物種の存続が果たせている」と認識するのがベターかと思います。
クラスの優等生で、多少友達の間で浮いていても、学校の成績という数字と、先生に褒められるバックボーンがついて自分の正しさを積み上げていったのだろうと推測します。しかし、実際に社会に出たら、それが支持されない。そのことで自信が揺らぎ、傷ついたと感じてしまいます。そこで、実際に攻撃を受けます。そう、幼かった時に注意していた、がさつだと思っていた子が成人となって現れて。
大人になっているので、先生と呼ばれる人はいません。自分で切り開くしかないのです。(そういう意味では、フェミに理解ある男性は必要と考えています。ただし、差別的言動にたいして女性と一緒になって叩くのが役割りではありません。攻撃する側の立場を尊重して、まあまあとなだめる仲裁者であることを願っています。男女差別をする男性は、男性の言うことは聞く可能性が高いです。)
「真面目な優等生女子」と「不真面目な男子」の構図と変わらないような気がするなあ。子供のうちは、ルールを守らない男子を注意して先生に告げ口すれば自分たちの正義が通せたんだけど、大人になって「先生」の存在がなくなってしまうと自分の正義が通せなくなる。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月14日
子供の頃に大人が「正しいだけでは通せないことがある」ことを教えることが肝心。「したいことをしたい」という本能をどうやって理性で抑えるか(理性で抑えたほうがメリットが大きいか)、注意する時にはプライドを傷つけないことなどひとつ注意するにもコツがいる。
— みやQ(元・動く無職) (@miyaq55) 2018年4月14日
ほんとうは、子供の頃に「正しさだけで人は生きていない。最終的な目標が悪いことをしないことであるなら、その人が望んで悪い行為をやめる方向に持っていくと効果的ではないか」と教えるべきだった。でも、潔癖な傾向のある人にはそれを理解することが難しい。でも、頭がいい人が多いので、「求める答えはどこで、そのためには何をすればいいのか、について切り分けてくれる人がいればすんなり解決していくかもしれません。問題の切り分けが行われければ、自分が清潔な環境だけで生きるほうが誰も傷つけません。
追加)
もしかしたら、「潔癖」であるがゆえに一気に白にしてしまおうとするのかもしれませんね。マナーは確実に前の世代よりは良くなっています。
・自然に失礼な言動をする人
・小さい頃の価値観がひっくり返されて、当惑しながらも行動には出ない人
・最初から失礼なことはしないという価値観の人
と時代を経るにつれ変わっていっています。それを待つのがいい塩梅なのではないでしょうか。
もしかしたら、人と人との仲介をやる人工知能が産まれることが、人間を平和にする方法かもしれません。人間はお互いの好きな人とだけ接すればいい。AIとだけ暮らす人生を選んでもいい。
大人になったら
清濁併せ呑む
感覚が必須やなあと思った次第。
医療者も、「健康であるベストの状態を求めがちで、患者さんにとって厳しいことを言いがちだなあと感じました。生活習慣病など、ともに生きていく性質を持つ疾患の治療の目標は患者さんの価値観を取り入れる必要があります。それを叶えるための治療方針。こちらのレールに乗せるだけでは治療がかなわないことがあります。
そもそも、治る疾患ではないという認識付から始める必要があるのでしょう。