思考と表現の日々

日々思ったこと感じたこと 手書きだったり写真だったり

言えなくなるまでぶん殴れてろのって乱暴なのでは

 「気持ち悪いと言えなくなるまでポリコレ棒で殴られててください」という記事を見ました。

 

 この記事を読んで、この記事を書いた方もLGBTの人を気持ち悪いと言っている人と変わらんのではないかと感じ、途中で読むのを止めてしまいました。自分の考えていること、思っていることが言えない立場の人が味わい続けてきた苦悩はわかりますし、それと同じ体験をすれば相手の気持がわかるのではないか、という意味でポリコレ棒で叩かれろと言っているのだろうという意図はわかります。

 

 でも、それって、「お前らは何も言わず、私の言うことを聞いていればいいんだ!服従しろ!」と言っている点では同じではないでしょうか。ここは苦しいのを我慢して、

 

 「自分の趣味趣向思想信条が存在するのを認めてほしければ、現に存在する趣味嗜好思想信条が存在するのを認めましょう。

 あなたがそのようにおっしゃるのはあなたの考えで、そうではない人もいます。ご自身の言動に対する批判が聞こえてくるのは受け入れましょう。対応するかどうかもあなたの自由です。

 ただ、憎悪嫌悪の感情を出す時は注意しましょう。世の中には清濁併せ呑むことができない人、あなたが憎悪嫌悪する対象を好む人がいることがいることに配慮しましょう。

 かといって、憎悪嫌悪の感情を中に貯め込むのは心身ともにつらいと思うので。誰も見ていない聞いていない場所か。その感情を共有できる人だけのクローズな場所で言えばいいと思いますし、ぞれぞれ住み分けることがお互いのためではないでしょうか。」

 

 といった趣旨のことを言えばいいのではないでしょうか。

 

 中にはナチュラルに失礼な言動をする人がいます。それが相手によっては失礼に当たることを知らないのです。知っていても忘れてしまうのです。こういう人は、何度注意しても「なぜ失礼なのか」わからないのです。その時時の気分で生きているのかもしれません。

 

  自分が弾圧されてきたことを、同じ目に合わせで弾圧するのでは、報復合戦になってしまい、他の人が「この話題をすると怖い人が絡んでくる。面倒事になるからこの話題はしない」という形での言論弾圧になるのではないでしょうか、

 このような結果になっても、自分にとって不快なことが消えればいいという認識の人は、まさに「不機嫌で人を動かす」という、クレーマーと同じ思考であり、他人(主に反対でも賛成でもない人)まで押さえつけることになります。不機嫌をちらつかせて他人を動かしてはいけないし、この手段を使う人の言うことを聞いてはいけないと思います。(ただ、この方法でしか人を動かせない中高年以上はどうすればいいのか、最初はアナウンスして、それでも改善しないなら孤立させてしまうのが私の今の所の答えです。結果を自分で引き受けるのですから)

  個人的には、「清濁併せ呑む」事ができない人は、自分が安心して暮らせる空間の中でひっそり暮らすのがお互いにとって幸せだと思います。Twitterなどでみた記事では、「憎悪嫌悪の感情を持つ自分、その感情そのものを受け入れることが出来ない」性格のようです。いい意味で言えばピュアなのです。世の中はいろいろな人がいるので、それらの感情を持たずに生きることは難しいです。憎悪、嫌悪の感情をうまく昇華させることができる技術を持つことが解決策に思います。

 言葉にできなくて悶々として意味もなく怒っているように見える人

 言葉にできるけど、そのような感情を持つ自分が許せなくて、その対象に怒りをぶつける人(怒らせた相手が悪いと、理屈をつけて排除しようとするパターンです。知能の高い人に多いように見受けます)

 言葉に出来ない人は言葉に

 言葉にできる人は怒りという感情を消すという一人でできることや、他人と発散できるようにするなど

 自分にあった方法はあると思うので、探してはどうでしょうか。(無責任な言い方のように思えますが、これ以上の方法は思い浮かびません)