思考と表現の日々

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男女同権はもっとゆるくていい

 昨今の男女間のジェンダーに関する問題が、いろいろややこしくなっている気がします。

 

 女性専用車両は女性優遇だと認識する男性たちが女性専用車両に乗り女性と騒動を起こしたり、女性の太ももを題材とした写真展に圧力がかかって中止になったり。

 

 女性専用車両の件は、鉄道会社とメディアがもっと車両設置の目的を周知させる必要があると思う。

 ・女性が被害者となる電車内での痴漢が多いこと

 ・それは男性が加害者、女性が被害者であるものが多いこと

 ・被害経験者が多いため、一両を女性や子供、体の不自由な人の専用車両とすることで隔離しても列車の運用に支障が出ないこと

 現行では、女性専用車両の方が空いているため、一部の男性からクレームが入る可能性がある。悪いのは混雑である。混雑の差を埋めるため、女性にはなるべく女性専用車両に乗ってもらうよう鉄道会社が啓発するのもいい。

 また、痴漢をした相手が誰なのか確証を取りづらいという理由で他の男性を痴漢扱いしてしまういわゆる「痴漢冤罪」(大部分は結果として誤認だったもので、悪意はない)のリスクを減らすべく「男性専用車両」というのも作ると男女平等のように印象づけられる。

 これらの方法で、大部分の人は受け入れるであろう。

 

 

 「太もも展」について。

 有料で

 閉ざされた空間で行われるものを中止させたのは行き過ぎだと考える。ただ、展示されるはずの写真を見ると、太ももの対象範囲が狭すぎる印象がある。人の太ももの好みの範囲は広いので、時折、陸上選手が走っている姿や中高年の鍛えられた筋肉を混ぜると良かったのではないかと考える。

 

 「未成年を性的消費するのはおかしい、あってはならない」という主張も思想信条に触れるのではないかと私は考える。実際に未成年に性的な行動をするのはアウトだ。しかし、想像をするのは問題ない。未成年を性的な対象として行動する言動や作品については、未成年の目に触れない場所もしくは同好の士の集まりでのみ話題にするのが妥当なところではないか。

 

 公の場で「女子高生の太もも舐めたい」と言っちゃうのはやめた方がいい。Twitterで言うなら同好の士の鍵垢同士での会話でのみ成立するものだ。態度に出すのを止めるのは難しい。言葉と違って、受け取る側の解釈によるものが大きい。

 親、特に母親は未成年を性的消費する場面を見て我が子がそのような目に遭うのではないかと強い嫌悪を感じる人が多いように見える。そういう感情にも配慮した表現にするのがベターと思う。

 未成年に性的な感情を持つのがダメならば、どのような性的関心が望ましいのか。私は、反対する人達に聞いてみたい。

 

 個人的には、今のフェミニズムを訴える人たちのやり方は性急すぎる、もしくは自分の考え方を押し付けすぎるのではないかと考える。自分たちが男性から受けた理不尽なことをすべて一代で返そうとしている気がする。それでは男女の隔絶を生むだけで解決にはほど遠い。

 

 フェミニズムを訴える人の文章を見ると、

 「相手を尊重して」とか「男女の枠を外して」とか書いてある。

 もう少し具体的言動まで落とし込んでくれると助かる。

 「このような態度で接してください」 

 ただ、その条件が多すぎるとお近づきになりたいとは思わなくなる。

人によって配慮するキーワードが異なるし、何がNGワードになるかわからない相手と付き合うと、自分が疲れてしまう。ならば、このような人と付き合わなくてもいいやってことになる。ある程度自由に話せる相手が気軽だ。

 「男性は頭のいい女性が苦手」などと主張する人もいるが、ただ単にややこしいことを言わない、付き合っていて地雷ワードが少ない人と付き合いたくなるのではないか。

偏差値の高い大学の少数派の女子でも、男性にモテる人はいただろうし。