思考と表現の日々

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社会との隔絶

といっても、就業していない人が社会と隔絶しているという話だけではない。

 

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平日の朝や昼間のスーパーは見事に高齢者ばかりだ。通路をカートや歩行器をゆっくり押しながら進んだり、動線をふさぐ形で荷物を置くので他の客や従業員の動きを阻む。

10年前は、もっと高齢者の割合は低かったし円滑に買い物ができた。ゆえに、通路を広げるスーパーが出現している。

おそらく、日中会社で働いている人にはわからない光景であろう。特に、郊外のショッピングモールを利用しているならば。

 

 「男は仕事、女は家庭」に代表される、ひとつのことだけに集中していればいいという考えは、自分の所属する社会以外との隔絶をもたらす。たいていの人は自分の所属しない社会のことには無関心で興味を持とうとしない。ゆえに、お互いが断絶しがちだ。

 

 政治や社会を考える講演会に行くと、きれいにおっさんばかりだ。(女性も増えてきたけど)そこで出る質問も、住んでいる地域のこと(生活から芽生える疑問)ではなく、(遠い国の)政治のことばかり。これでは、住んでいる地域、家族のことしか話題にない配偶者を笑うことはできない。これが、私はいわゆる「愛国者」と呼ばれる人に対する疑問である。生活から芽生える疑問を政治につなげることはできるだろうと思う。

 逆に、社会福祉や医療にかかわる人から政治や国土や世界平和の具体的な話をあまり聞かない。「病人、介護を受ける人、障害を持つ人」を重視せよという声は大きいが、彼らを支援する側とのバランスを考えた発言はほとんど聞かない。これは、支援する側である自分たちが楽したいがために発言しているからととらえられがちだから言わないと思われる。しかし、支援する側が潰れてしまっては、支援される側も共倒れになるので、バランスをもって主張すべきと思う。社会福祉や医療にかかわる人が、利益を得てはいけないと自分で主張してしまうのもよくない。事業の存続のためにお金が必要で、これだけ稼げば具体的に改善できるところはここです、という主張はどんどんするべきだ。

 話がそれてしまった。社会福祉や医療にかかわる人はえてして「福祉の充実」「あたたかい」といった抽象論に走ってしまいがちだ。お金を儲けたり、国土を守ることで自分たちの生活が守られるというのをもっと考慮したらいいと思う。

 

 自分の所属する社会以外のことに関心を持ちにくいのは、仕事が忙しすぎるのと、ほかの人の能力や資源を際限なく使っていいと考えるものが多いからと思う。

 しかし、どうしても自分の所属する社会以外のことには関心を持ちづらいので、働いてもらうなどして所属する社会を増やすしかないのかもしれないと思うが、所属できる社会の数は限られるし、それだと忙しくて他の社会のことに関心は持てないし、どうすればいいのだろうと悩ましい。

 

ここでは「社会」を「社会集団」というニュアンスで書いています。