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思考と表現の日々

日々思ったこと感じたこと 手書きだったり写真だったり

なるべく小さな不幸せ

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 思想信条の自由・表現の自由は受け止める側の寛容性と発信する側の良識によって成り立つものであると感じる。このバランスが取れていないとこれらの自由は成立しない。人は自分の権利は最大限許容され、自分が受け入れられる範囲で他人の権利を認める方向に向かいがちである。その根本にあるのが快と不快の感情である。どれだけ理屈を並べても、つまるところは感情に行き着く。感情をそのままむき出しにするのが悪いのではなく、むき出しにして周囲を不快にさせるのが良くないのだ。

 ゆえに、人権の話題になった時「人権をすべて認めよ」というのは首を傾げる。どこまで他人の人権を受け入れられるのか不安だからだ。自分の許容範囲が狭いのか、それとも他人の欲求が深いのかわからないのだ。そのバランスは常に変わっていくので法律などで定める場合はかなりぼんやりした表現になるのであろう。

 許容範囲を広げるには興味関心をもつことと、あまり深入り深読みしないことが肝心なのかもしれないなあと思う。

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