思考と表現の日々

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空の巣症候群、長考、自分を生きる。

 

いつかくる巣立ちの日、その時「私」を見失わないために 〜空の巣症候群について考えた〜 by kobeni - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

 

 空の巣症候群について考えたブログを読んで考えた。

 

 長考する業務の人に対し、「暇そう」と認識してどんどん業務をぶっこんでいく人がいる。業務をぶっこむ人はその人自身のタスクが多い人か、業務中に長考するのは望ましくない、作業こそが業務と認識している人か、とっとと自分の業務をた任意押し付けて楽したい人のどれかと勝手に解釈する。

 女性に、他人が長考したり構想を練るのを嫌がるひとが多いように思うがそれは多分偏見だと思う。しかし、ブログ中にある、既婚女性はタスクとミッションの連続という言葉から自分の偏見にも一理あると感じた。とにか幅広い細かいことをこなしていかないといけないし、こなしていってもこなしていっても終わらない家事や育児の業務。そんな長考している暇があったら自分の業務を終わらせるのに協力してくれないのか、という不満があるのかもしれない。長考する暇がない結果、長考する習慣を失ってしまっている人もいる。元々じっくり考えて自分の答えを出す、という概念を持ってない人が二昔前の人には結構いて、その上それで通じるどころか賞賛されていたのかもしれない。彼女たちが生きていた時代ならば、「自分が何をしたいのか」考える時間ができる前にお迎えがきていたと思われる。でも、今はそうではない。(もしかしたら、今度は長考する間もなく労働に担ぎ込まれているのかもしれないが)

 

 出産後早いうちから家事育児を夫が手伝い、妻が自分の身の回りのことを自分一人で完遂できることを忘れさせなければ、もしかしたら空の巣症候群は防げるかもしれない。(それでも、「やるべきこと」や「周囲からどう思われるるか」「あるべき姿」に自分をはめ込むタイプの人は自分だけのために時間を使うことに罪悪感を感じるかもしれない) 

 

 だから、長考や構想を練る仕事に価値を求めたいのならば、労働の生産性を上げたければ、妻に作業だけでなく、考えること、自分のために時間を使えるようにすることが肝心なのではないかと考える。

 

 それが、子供が大きくなった時に子供に負担を与えないためなのだから。