思考と表現の日々

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何かを決める時に必要な「本音」と「建前」の「距離」

 物事を話し合いで決める時、あまりに建前だけで決めてしまうと、誰もが納得しないし不満に思う結果になってしまう。

 法律や条約レベルだと個人の本音から大きく離れたものが出来上がって当たり前(国全体世界全体レベルなので関わる人間も多いし、決定するプロセスに直接参加していないので)なのだが、その場合でも最近は郵送はおろかインターネットから携帯電話からでも簡単に通学通勤途中でも意見を投書することはできるので多少は反映されるかもしれないし、何よりも参加したという事実は残る。

 

 もう少し小さな規模の話、例えば職場や家庭や地域の集団の中での決定過程で不満をある程度解消しそこそこ腑に落ちた状態で物事をすすめるにはどうすればいいのか。

 

 意識しておいたほうがいいのは「自分の本音と建前の距離」と「何を優先するのか」「そもそも自分の本音は何なのか」

 相手との関係を気にするあまり、建前論だけで決まった決まり事は有名無実化しやすい。腹の探り合いの結果、傷つけないように見えて全員の関係が悪くなることもある。

 

 よほど独りよがりだったり利益が偏った意見でないかぎり、小出しに(時には全部)本音を出して決まり事がもつ理念や目的とすりあわせたほうが形骸化しにくいし、決定の根拠を共有できているので、状況が変わった場合に改善しやすい。(決定のプロセスも文章化するか時折決定事項を更新して風化させない工夫も必要)

 そうすることで、独善的な人間をあぶり出し、その者と距離を置くことも可能になる。これまた利点。

 

 

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