最初は男女の分担の話。
「男は仕事、女は家庭」という姿勢が何をもたらしたか。
家事が全くできず、妻亡き後は身の回りの事が全くできない男性を生み出したり、働く覚悟を全く持たず娘にも働かないでいい相手を探すよう指南する母親を生み出したり。または、自分の人生の目標を見失って、子供が自立した途端に生きる意欲を失いうつ状態になったり、子供の自立を阻害したり。
完全に「分業」になってしまい、
1.自分の基準で自分の担当する業務に求められるレベルを向上させてしまった
2.相手の担当する業務について理解せず、相手に無茶な要求をするようになってしまった
このことで、お互いが疲弊してお互いを非難するようになったように思われる。
例えば、長時間業務や家庭を犠牲にして企業に尽くすことを賞賛し、それができない既婚や子持ち女性社員を排除し、男性のみで回る企業社会を作ったり
「子供のために!」とどこまでも子供に手をかけ質の高い個別の教育をして、専業主婦以外(専業主婦でもきつい)実現し得ない子育ての社会を作ったり
それぞれが自分がやりやすいように、自分の基準のみで「いい!」と思えること追求した結果、全然自分も他人も楽にならない状態になっている。
先日、どなたかのつぶやきで「男は仕事、女は家庭という考え方が男性の長時間労働を呼び、それで成り立ってきた社会が、男性にも育児や家事を求めると、文明のレベルが下がる(今まで男性が無理してやってきたことに注がれていた人員が減り、その代わりを誰もやらないため)」という内容のものを見た。これには納得。
実際にやらないと、その立場にならないとその立場のことを考慮できないから、全員がスーパーマンのようになんでもできるようになる社会の実現は無理。ゆえに、分業ではなく、連携が必要になってくるんですね。
お互いの業務内容に関心を持ち、お互い無理させないようにする。それが健全だと思う。
そのために何ができるか?
まずは、他人のリソースは無限という考えを捨てること。自分が無理しない代わりに、他人も無理させない。
最も大切なのはシステムが長く続くこと。多少不便でも、相手を無理させていないか、考慮しないと必ず自分に返ってくる。
それと、一つのことをやり込むタイプの人は、他人をそれに巻き込まないこと。特に子育てでは、動いてないと死ぬ!という感情を我慢してでも待たないといけないことばかりです。やり込むタイプの人は大きく進化させることができる能力はありますが、それについていけない多くの人を生み出します。
そして、他人のやり方と自分のやり方は違う。みんな同じやり方ではないということを徹底させること。