思考と表現の日々

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権利と抑圧と

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これだけ仰山の人が狭い範囲で暮らしていて、高いレベルの暮らしをしていれば、それぞれの権利がぶつかり合うのは
仕方ないのですよ。権利がぶつからないようにするには、お互いがなるべく接触せずに生活を完遂できるようになるしか
ない。そうなると、自給自足になってしまうわけですが、食べるものを取って食べるだけで人生が終わりそうですね。
 なんでもできそうなTOKIOでも、多くの人と協力して暮らした方が副業のアイドル活動もできて日々の農作業に励めるのです。

 誰かと誰かの権利がぶつかり合えばどうするかといえば
1.ぶつかり合う権利を洗い出す
2.権利の内容を比較する
3.最低限の人としての尊厳を傷つけていないかどうか検討する。
(例えば、周囲の雰囲気が悪くなるからお前死ね、というのは認められません)
4.どこまで譲りあうのか、権利が直接絡んでいない人を不幸にしないのか検討して妥協する。

当事者がよくても、周囲に被害を与えてはその権利は認められないのです。人が多く住んでいるから。
これが公共の福祉です。公共の福祉は国が勝手に押し付ける性質のものではないです。周辺の人の意見を声なき声の
レベルまでリサーチしたり、客観的な指標を用いて出来上がっています。国がすることはその国に所属する国民が
永続的に暮らせることではないでしょうか。
 公共の福祉の設定は「なるべく多くの人が少しでもいいので利益を得られ、大きな害を受ける人には代わりの
ものを与えて長い目で見て極端に不幸な人をなるべく少なくする」ものだと考えます。

 自分の権利を少しでも侵されたら「抑圧だ」とか「人権侵害だ」と言う人には、他人の権利など見えて
いないのでしょう。抑圧されないためには何でも自分で賄えないといけないわけで、そうなれば、自分のすることの
種類が増えますから高い程度の暮らしはできない。何でも「人権」と訴える人には「他人の、利害関係のない人や
自分の嫌いな人にも人権がある。それを認めることで、自分も皆(自分を嫌う人も含めて)から尊重される」ことを
認識してほしいものです。