思考と表現の日々

日々思ったこと感じたこと 手書きだったり写真だったり

他人の時間と資源を勝手に使っていいものではない

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 ゴールデンウイークでございます。

 現在、連休に体を休ませ普段できてないことを消化すべく用事を先取りして消化しています。仕事では普段から「できる時にやっておく」という姿勢で夕方まではやっています。(それ以降は途中やめになってしまい効率が落ちるので明日に回します)

 

 そういう方法で仕事をしていると、「もっと仕事や用事ができるんじゃないか」と思って仕事を振ってくる上司がいるわけですよ。それをするからダラダラ残業が増えるのです。規定の仕事が済んだら帰らせる。(定時までに済んでしまう人とまったくもって終わらない人が出てきたら上司の仕事の振り分け方に問題があるので、皆が定時に終わるように仕事を振り分けるにはどうすればいいか考え実行するのが上司の仕事です)

 

 

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 同じ会社で働いている人でもこうですから、取引先や顧客の場合はもっと配慮してくれません。みんな自分のことで精一杯です。相手も精一杯であることまで想像がつく人を見ると神様に見えます。

 

 家族だと甘えがひどくなります。

これは反省すべきことなのですが、親に夜になって用件を言ったり、自分の都合だけで動いておりました。親になる予定はありませんが、子供が小さいうちから都度「親にも都合があるし、店で買うようなものがある場合は夜だと買いにいけない」と言った方がいいと考えます。

 

  時間は恐ろしいほど平等に過ぎていきます。他人の時間を好き勝手に使う権利は誰にもありません。「時間に余裕を持って」「自分がやってもむちゃくちゃにならない程度に」用件を願い出るぐらいでちょうどいいと思います。

 

 それと、他人の知識や技術に対しても敬意を払って欲しいと思います。知識を得るのにかかった時間と労力を軽視するのは、自分で専門知識を得た経験がないか実感が薄いかのどちらかのタイプだと思います。すぐに聞くのではなく、ある程度知りたいポイントと自分が知っているポイントを上げた上で、これ以上がわからないと聞いたほうがいいでしょう。そして、用件を頼むことになる場合は時間に余裕を持って。

 

 

 

 

 

 

 

偏った視点では客観性すら失われる

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一次情報が片寄っていることは時にあるけど、極端な陰謀を盛り込んでもすぐに一般の方で専門の知識のある方の突っ込みが入るこのご時世、こういう発表に嘘を入れる意味がないんです。
この点でも、学問を学ぶ意義がある。そういう点で世の中はましになっている。ましにするために学ぶ。

やるならきっちりせえよ、というこった

www.daily.co.jp

 

 募金等でくまモンを使う場合のルールをキッチリしてきているのが肝です。

1.所定の書式で申請

2.活動報告必須

申請した団体がちゃんとした支援団体かどうかも熊本県にノウハウとして入る仕組みですね。

 

 募金したいけどどこに募金していいかわからない方は直接

1.日本赤十字社
2.赤い羽根共同募金会
3.熊本県大分県に直接ふるさと納税

が無難です。

音楽離れ→音離れ

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

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 様々な通知音、様々なBGMで疲れきった結果、人は音楽から離れていっているのではないだろうか。ライブの音はそんなBGMとは違う、人を刺激しない性質がある。

 

 そんなざわざわする音から離れたくて、家ではあまりテレビ番組を見ません。見ても昔からの作りの淡々とした作りのものばかりになっているようです。

 

 

思考を 感情を 言語化する

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 思考を言語化することはよいことが多い。

 アイデアをメモにして、その思考からいつでも何度でも別のことを創造することができる。思考を記録した時の自分自身をいつでも思い出せるからだ。

 メモはある程度詳細な方がいい。箇条書きだと内容を忘れてしまう。

 ボイスレコーダーに記録するのでもいい。いずれにせよ、他人を傷つけるような汚い表現はキーボードで入力するよりは少なくなる。

 

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 対し、感情を言語化するのは危険な場合がある。

人間は綺麗事だけで生きてはいない(多くの人がいるので、利害が元で自分の幸せのために他人の不幸を願う気持ちが生まれてしまう)ので、人の汚い面に向きあえて許容できるかどうかが鍵になってくるのではないかと考える。

 

 綺麗な言葉だけをSNSやブログに書いている人がいる。そういう人は

1.汚い感情に向き合えなかった結果、綺麗な言葉で自分を埋めようとしている。

汚い言葉を恐れ、人の失敗に不寛容になり、ルールでがんじがらめの世の中を作る。

思考も怖くなってしまい、新しい物を生み出せない人も出てくる。

 

2.汚い言葉に向き合った結果、そういう言葉やその元となる感情の存在を認める。

しかし、公の場で言うべき言葉ではないとして、表現を変えたりして綺麗な言葉の比率を高めようとする。心の弱さを許したり、言動に対して指摘したり。汚い言葉を使わないので、指摘となる。

 

 もしかしたら、人工知能の開発は感情を言語化する過程や人工知能が発する感情に人間が向い合う過程でつまずくかもしれません。先日、

gigazine.net

ということが起こりました。人間界には公の場で言ってはいけない悪意ある発言をする人間がいます。悪意自体は人間に備わっている感情(逃避だったり、自己の安定化のための感情なので)仕方ないので、いずれ人工知能もこれを学ぶでしょう。それがあまりにも早かったのです。開発者が悪意にどう向き合い、対処するかが今後の人工知能開発の行方に繋がるのではないでしょうか。開発者が1.の反応になると開発そのものが中止となり、作業を行う機械で止まるでしょう。2.のように乗り越えることができれば、より倫理性の高いものができるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、研究開発者に高い倫理と良心が求められることは明らかです。

 人工知能の開発の過程の思考を留めて、何かの著作にすれば、人間の育児に役立つのではないかと想像しました。

 

 自分の中の悪い感情と向き合えなかった結果だったり、感情がブレまくって自己を保てなくなる人も出てくるので、日頃から感情的な人は何も考えず何も見ず何も聞かない何もない世界(もしくは、情報端末から遮断された世界。例えば半世紀前までの一般的な社会。考える暇もなく、ただ作業をするだけの世界)の方が幸せなのかもしれません。

 

 思考を記録するのはいいけど、感情を記録するのは人を選ぶなあ。

 

妻の愚痴

 妻の愚痴を聞かされてしんどい思いをしているご主人方へ

 

 毎回毎回同じ内容で、何の進展のない愚痴を聞かされてイライラしているご主人方へ

 

 女性は結婚、出産、子育てで今まで友人だった人であっても共通する会話のない相手とは疎遠になっていく場合があります。

 我が子のためには友達の家を陥れる女性もいます。友達のフリしてターゲットの家の情報を聞き出し、窮地に陥れることなどいとも簡単にできてしまう人がいます。一緒にいる時は仲良く会話していても、いざいなくなると悪口ばかり出る場合があります。この場合は、完全にその相手が嫌いというわけではなく、不満がある部分があると良い場合があります。付き合っていることがプラスなんだけど、ここは残念だというところがある場合です。

 そういう経験を子供の頃からしているうちに、本音を話せる相手が配偶者のみになっていきます。本当は裏切らない相手であっても、疑う感情を持ちつつ接しています。

 

 そういう背景があるのです。悪い感情を吐き出して、気分を切り替えて前に進もうという思いもあるのです。それと、まだ善悪の判断が完全にできていない子供の前では悪い自分を出すべきではないという親の自覚もあるのです。(子供同士で本音を喋った結果、大きな揉め事につながります。建前だけで話をするのは人を傷つけないためでもあります)

 

 時折、自分は変わるつもりはない、変わるべきは他人だと一切聞き入れない人がいますが、そういう人が妻だった場合は諦めましょう。治りません。たとえ、離婚になっても変わりません。もう成人をとうに超えた人が変わるのは相当な状況です。

 

 でも、妻の愚痴を聞いてある程度すっきりするならば婦人の心身の不調からくる病気は減るのではないかと思っています。次から次へと不満やマイナスの感情が溢れてくる人の場合は聞き手の方が病気になりそうです。女性の方で、そういう要素があると思ったら夫が聞き流すのを許しましょう。

空の巣症候群、長考、自分を生きる。

 

いつかくる巣立ちの日、その時「私」を見失わないために 〜空の巣症候群について考えた〜 by kobeni - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

 

 空の巣症候群について考えたブログを読んで考えた。

 

 長考する業務の人に対し、「暇そう」と認識してどんどん業務をぶっこんでいく人がいる。業務をぶっこむ人はその人自身のタスクが多い人か、業務中に長考するのは望ましくない、作業こそが業務と認識している人か、とっとと自分の業務をた任意押し付けて楽したい人のどれかと勝手に解釈する。

 女性に、他人が長考したり構想を練るのを嫌がるひとが多いように思うがそれは多分偏見だと思う。しかし、ブログ中にある、既婚女性はタスクとミッションの連続という言葉から自分の偏見にも一理あると感じた。とにか幅広い細かいことをこなしていかないといけないし、こなしていってもこなしていっても終わらない家事や育児の業務。そんな長考している暇があったら自分の業務を終わらせるのに協力してくれないのか、という不満があるのかもしれない。長考する暇がない結果、長考する習慣を失ってしまっている人もいる。元々じっくり考えて自分の答えを出す、という概念を持ってない人が二昔前の人には結構いて、その上それで通じるどころか賞賛されていたのかもしれない。彼女たちが生きていた時代ならば、「自分が何をしたいのか」考える時間ができる前にお迎えがきていたと思われる。でも、今はそうではない。(もしかしたら、今度は長考する間もなく労働に担ぎ込まれているのかもしれないが)

 

 出産後早いうちから家事育児を夫が手伝い、妻が自分の身の回りのことを自分一人で完遂できることを忘れさせなければ、もしかしたら空の巣症候群は防げるかもしれない。(それでも、「やるべきこと」や「周囲からどう思われるるか」「あるべき姿」に自分をはめ込むタイプの人は自分だけのために時間を使うことに罪悪感を感じるかもしれない) 

 

 だから、長考や構想を練る仕事に価値を求めたいのならば、労働の生産性を上げたければ、妻に作業だけでなく、考えること、自分のために時間を使えるようにすることが肝心なのではないかと考える。

 

 それが、子供が大きくなった時に子供に負担を与えないためなのだから。